新井由己の仕事帖

2007年05月10日 (木)

「つながり」が必要な時代 

5月2日から4日にかけて、静岡県富士宮市にある「木の花(このはな)ファミリー」を訪ねました。去年の夏ごろから気になっていた場所で、「田楽祭」(田植えのお祭り)が行なわれると聞いて、すぐに『田舎暮らしの本』に企画を打診して、お遍路に旅立ちました。戻ったら無事に企画が通っていて、念願がかなったというわけです。

   

木の花ファミリー
http://www.konohana-family.org/

上記サイトを見てもらうとわかりますが、「血縁を越えて助け合う家族」をテーマに、95%の自給率で50名近くが暮らしています。今年で14年目を迎え、去年から急に若者たちの移住が増え、訪問者数も急増しているそうです。このところ、訪ねた人の感想を聞くことが多く(マイミクさんの日記だったり、イベントでの立ち話だったり)、だれもが「すごくよかった」と口を揃えていました。

木の花ファミリーの暮らしぶりは、『田舎暮らしの本』8月号(7月3日発売)を見ていただくとして、今回の訪問で自分の中に生まれたキーワードがありました。それは「つながり」という言葉です。人は何かにつながっていることで、生きている実感が得られるということが、僕の中ではっきりしました。

それは、お遍路を歩いている若者たちと木の花ファミリーに集まる若者たちの、どちらにも共通していることでした。お遍路では、お接待をしてくれる地元の人のほかに「同行二人」と称して弘法大師といっしょに歩いているという感覚があります。木の花ファミリーは3月までは「木の花農園」という名称でしたが、血縁を越えた家族という目的をわかりやすくするため「ファミリー」に変えたそうです。

木の花ファミリーでは、夕食後に「大人会議」と呼ばれるミーティングが行なわれます。基本は全員参加で、その日の作業報告や明日の予定を伝え、人手が必要なところにメンバーを割り振ります。そのほかに、自分が感じたことや気になることなどを話して、それに対してみんなが真剣に答えていきます。

ここでは、“心の病”を抱えている人たちのケアも行なっています。ちょうど僕が訪ねた日に、ケアしていた人の卒業式がありました。24年間も統合失調症(2002年までは精神分裂病と呼ばれていた)と診断されて薬を飲んでいた人が、1か月で薬を飲まなくなり、2か月後には社会に戻っていくのです。「大人会議」では、ケアの人たちの日常生活を聞くこともあり、それに呼応して、みんなが思っていることを素直に話せるのかもしれません。

   

一方、お遍路から戻って木の花を訪ねる数日の間に、『〈スピリチュアル〉はなぜ流行るのか』(磯村健太郎/PHP新書)という本を読みました。本の見出しから内容を拾ってみましょう。

ブログでのスピリチュアルなつながり/「千の風になって」が支持される背景/大学生の二四%が「自分には価値がない」/〈私〉は本質的に孤独なもの/「キッパリ!」はなぜ一二〇万部売れたか/うつ病とコミュニケーション不足/「ビーグッドカフェ」のネットワーク/mixiも「カフェ型コミュニティ」/「ケア」されるということ

本の中で印象的だったのは、かつて存在していた「地域社会」が崩壊し、人々はたがいに「見知らぬ他者」として存在しているという話でした。会社員にうつ病が増えている背景には、共同作業よりも個人で仕事をこなすことが増えて、職場での助け合いが減っていることが関係しているそうです。著者は「絆はほどけ、弱い『つながり』、さらに冷たい『つながり』になりつつある」と言います。これは他者との関係だけでなく、家族どうしでも「つながり」が希薄になっているといえそうです。

数年前から取材している自然農の川口由一さんも本に登場します。川口さんの言葉は、聞く人によっては宗教的に感じると思いますし、“教祖的な雰囲気”は僕も感じていました。

「お米の足もとで虫が生きてる。草が生きてる。なきがらの層で、小動物が生きている。微生物が生きている。そこで、人間も生きれますのやわ。ほかのいのちが生きているところで、生かされるわけです」

実は、地球全体をひとつの生命体として捉え、自分もその一部だという考え方は、新宗教(黒住教、金光教、天理教、大本教、霊友会、生長の家、立正佼成会、PL教団、創価学会、世界救世教、天照皇大神宮教など)に共通している思想のようです。その後、カルト教団が社会問題として目につくようになってから、「宗教=いかがわしいもの」と思われるようになったのでしょう。

宗教は決してアヤシイものではありません。問題なのは、搾取しようとする教団と依存心の高い信者なのです。流行のスピリチュアルも同じで、悪意があるカウンセラーに出会ったり、相談者が依存してしまうと、「自分の人生をどう生きるか」という本来の目的から離れてしまいます。

人は何かにつながっていることで、生きている実感が得られる。それは、新刊の『エコロジーショップの働きかた』でも書いたことでした。社会や他者のためにするものが仕事だとすれば、自分以外の何かとつながりを持つことが生きることなのかもしれません。

宗教が敬遠される一方でスピリチュアルが人気なのは、何かとつながりたい人たちが増えている証拠でしょう。守護霊や前世を知ることで、自分ひとりではないことを感じるのかもしれません。

安曇野のシャロムヒュッテに通っていたころ、オーナーの臼井さんが言ってました。

「20世紀は分断と競争の時代でした。競争することによって豊かさを手に入れましたが本当の豊かさを見失ってしまいました。21世紀は融合と共生の時代です。まさにひとつ、みんな仲間。奪い合う暮らしから分かち合う暮らしへ。若い人たちは気づいています」

お遍路を歩き終えて「信仰とは何か?」を考えるようになり、以下の結論に達しました。

「人としてどうあるべきか。どういう人生をおくることが幸せなのか。もしかしたら、それが信仰の根源ではないでしょうか? 僕は、人間どうしのもっとも基本的な関係に気づかせてくれるのが、お遍路の最大の魅力ではないかと思っています」

木の花ファミリーも、同じように「人間どうしのもっとも基本的な関係に気づかせてくれる」場所なのかもしれません。木の花の創設者である古田さん(通称・いさどん)は、「みんなが木の花に引っ越さなくていいんです。ここの暮らしは都会でもできる。そのモデルを作りたい」と言ってました。もう一度、地域や家族の「つながり」を見直してみませんか?

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